梅栄堂の歴史History of BAIEIDO
占城(チャンパ、ベトナム東南部)、ボルネオの沈香、インドの白檀、チベットの麝香など、香の原産地は広く東南アジアなどの熱帯地方にまたがって分布しています。香は大気を浄め心を安らげるだけでなく、時には健胃剤、解熱剤などとしての効力も著しく、元来はその大半が漢方薬または香辛料でもありました。そのため明船・南蛮船の一等重要な交易品として珍重され、堺においてもその入手が競われたものでした。
諸国渡来の香木で賑う天文年間(1500年代)には、抹香の簡便なかたちとして発達した線香の手法が、中国から堺に初めて伝えられます。このため、市中には、中国からの漢方薬や香木を集めて商う薬種問屋が軒を並べ、後に、線香製造にも着手したのでした。
私ども梅栄堂は、香木輸入の中心地ここ堺において、室町時代、大和屋覚右衛門を始祖に、薬種問屋を営んだのが始まりです。明暦三年(1657年) には、沈香屋作兵衛と称し、線香・香類を専ら商ってきました。この「沈香屋」とは、堺独特の呼び名で、薬種問屋の中でも香を専門に扱うところにだけ、特別に許されたものでした。
沈香屋作兵衛は、略して「沈作」を屋号とし、「沈八」「沈和」とともに「業界御三家」 と呼び親しまれました。江戸初期には、仏教が庶民の生活に密接なものになり、多くの愛香家の支持をいただくことになります。明治になり、「沈作」から「中田梅栄堂」と改め、各宗総本山の御用も受け賜わってまいりました。
こうして今日まで、香づくり一筋に、三百年余りを重ねております。香づくりは、各店ごとにそれぞれの秘法を持つものです。梅栄堂もまた、創業以来、書き記された門外不出の秘法を守り続け、真の香りを現代にお伝えしたく、精進に努めております。
- 南蛮屏風・部分(堺市博物館所蔵) 南蛮貿易時代に堺に立ち寄って交易が行われていた様子が描かれています。
- 大阪府管内全図(堺市立図書館所蔵) 明治元年(1868年)お線香が堺の名産品であると記載されております。
- 堺市全図及商工業独案内(堺市立図書館所蔵) 明治24年(1891年)お線香の部に梅栄堂のその当時の当主「中田作五郎」の名が記されています。
- 昔のお線香製造現場 今も昔も変わらない製法でお線香は作られています。
- トヨタマスターライン 1950年代の梅栄堂の営業車
- 昭和のテレビCM 1960年代の好文木のコマーシャル
- 堺市鳥瞰図 昭和10年(1935年)当時の堺市の鳥瞰図(吉田初三郎作)に梅栄堂の名前が記されています。梅栄堂ショールームで拡大版をご覧いただけます。
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